手元供養「こころの杖」への想い


悲しみに寄り添うために

私が、手元供養専門店『こころの杖』をはじめることになったのは、母のお葬式に出ることが叶わなかったことが始まりです。

母は生前、お墓によく行っておりました。

病に伏してても、気になったお墓に一体母は何を求めたのか?私自身もそのことを知りたくって日参することにしました。

最初は、「なぜこんなに早くに迎えに来るの?」と憤りの中でお参りしておりましたが、1年間、通っているいる頃に母がお墓に求めた意味が徐々に分かってきました。

母はお墓をこころの拠り所にすることで日々を送ってきたんですね。

そして、同時に自分自身の思い上がりも見えてきました。

自分一人でやってきたと思っていたことが、色んな縁や様々な偶然が重なりあってできたことであると、気づかせてくれたのです。

そう気づくまでに1年以上の月日を要しました。

 

その頃、TVからは東日本大震災から1年のニュースが流れていました。

東北の方たちの心の拠り所はいったいどこにあるのだろうか?と考えた時、自分自身の事も重なり合って、こころの拠り所とはいかにあるべきか?と考えました。

 

祖父が始めた陶器製造業の家庭に生まれながら、全く違う道を今まで歩んできましたが、進む道は決まっておりました。

悲しみに寄り添え、明るい未来を夢見ていただけるような思いで『こころの杖』を提案しています。

私が送り出す商品が1人でも多く方の悲しみに寄り添うかとができる事を願って止みません。

 

ずっと昔から続いてきたバトンリレーによって、受け継いだ生命力と愛情を、いつか手渡していくことは大きな使命だなぁと、つくづく感じる今日この頃です。

何を手渡すのか?は皆さんと同様、私自身が何を大切にしているのかに通ずること。

もっと明確に鮮明に明るく楽しく日々を生きるにはどうすればよいのか?を皆さんとともに考え、明確に具体的に行ってみたいと思っています。

 L・ボーン株式会社  代表  今井 暁美

   

 

『もう一度』の想いから

《もう一度》見せたかった海や川、青空、桜、草木等、《もう一度》聞かせたかった鳥や虫の鳴き声、波の音や風にそよぐ木々の音、《もう一度》匂わせてやりたかった花、《もう一度》連れていってあげたかった風景等と叶えられなかった《もう一度》があります。

※末期を迎えた人が望む状況は《青空が見えるところ》、《海や湖が見えるところ》、《緑や山が見えるところ》、《花の香りが匂うところ》、《自分の好きな犬や猫やペットが出入りするところ》とあります。

送る側も逝く側も望むところは同じなのです。

『こころの杖』はいろんな《もう一度》をテーマに商品をお届けしています。

※ 京都大学大学院の宗教学者カール・ベッカー教授の著書参考


やきものは錆びない、腐敗しない。残り続けることは大切


大切な人が残されたご遺骨。

そのご遺骨に特別な想いを持たれるのは当然のことです。

急激な喪失感で悲しみ悩まれている方たちにとって『大切な人がそばにいる』その安心感を持たれるのはとっても必要なことです。

悲しみに寄り添うために、その最も大切なご遺骨をどうすればいいのかを試行錯誤の中でずいぶん考えました。

そして、残り続けることを1番のことと考えました。

遺跡から出土される遺物にやきものが非常に多いです。

木製品や紙製品、金属製品もたくさん使われていました。

しかし、木製品や紙製品は腐食します。

金属製品も錆びてなくなります。

それに対してやきものは土中でも錆びず、腐らず残り続けます。

そこで、遺骨を土に還す本来の方法で残り続けるアミュレットを作り出すことができました。

 

遺骨ブレスレットができるまでに13年の歳月がかかりました


遺骨加工商品が出来たのは、悲しむあまりに納骨することが辛く思われている方からのご相談が最初でした。

故人が残したご遺骨やご遺髪を『形見』と想い、大切にされるお気持ちは誰もが分かる気がします。

当時、遺骨を土に練りこんで形にできないだろうか?と思い陶工を探したけれど見つかりませんでした。

 

それは遺骨に対する抵抗感からでしたが年数が経ち、「親を送ってやっとその気持ちが分かるようになった。協力しよう」と言ってくれた陶工が出てきたのです。

作り手も大切な人を亡くされた人の気持ちに沿うことができて、この商品は生まれました。最初のご相談から13年の月日がたちました。

 

手元供養専門店 こころの杖 
ブレスレット・あねもね
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